「楽しい時間はすぐに過ぎる」
「つまらない時間は長く続く拷問のようだ」
そんな風に感じますよね。
特に今年(2023年)は、さまざまなイベントが徐々に昔のように再開されているので、「楽しい時間ってあっという間だね」と感じることも増えているのではないでしょうか?
こんなとき理系の半可通は、やれ「1秒の定義」だの、やれ「相対性理論における時間の流れ」だのを持ち出して、過去の偉人が叡智を絞って生み出した真理を消費して一時の笑いに変えがちですね。
いかんいかん。今回はそういう話を書くのではありません。
この記事ではまず、「そもそも時間ってどう定義されているのか」から解説します。そしてコロナ禍で私が知るに至った音楽ユニット「万貴音」さんの曲を通じて、時間の流れが人の主観に及ぼす影響を・・・まあややこしい話はあと!先を読んでください!
現代における「時間」の定義
皆さん、実は「1秒」って、すごく厳密に定義されているんですよ。知ってました?
大昔は次のような感じで定義されていたのですが・・・。
地球が1回自転するのが1日
1日を24等分すれば1時間
1時間を60等分すれば1分
1分を60等分すれば1秒
地球の自転が結構フラフラしていることが分かったそうで、このままではいかん!ということになり、1967年に革命的な変更がなされました。「原子時計」の原理を用いた定義です。
1秒の定義(1967年~現在)
セシウム133の基底状態の、
2つの超微細準位間の遷移の際に吸収される光の振動が、
91億9263万1770回繰り返される時間を1秒とする
ウッいきなり難しい・・・と思われそうですが、気にしないでください。
「なんか特定の原子が光を吸収するらしい」
「その光の振動はすごく早くて、91億9263万1770回振動したらようやく1秒なんだそうだ」
ぐらいのイメージでいいですよ。
ここに出てくる「超微細準位」というのは、量子力学に基づいて算出されるものなので、「なるほど~量子力学に基づいて1秒が決まっているのか~」と思っていただくのでもいいですね。
地球の自転に比べると、日常生活とかけ離れた、ずいぶん無機質なところで時間って定義されているんだなぁと私は感じました。皆さんはいかがですか?
万貴音(まきね)さんの楽曲における時間
ここからが主題です。このブログを読みに来る人は理系ネタばかりあさって音楽に詳しくないと思うので(偏見)、万貴音さんの紹介から丁寧にしていきますね。
万貴音さんはこんな人たち
万貴音(まきね)は2006年結成の男女ツインボーカルユニット。ユニット名は、女性ボーカルの中原万貴(なかはらまき)さんと、男性ボーカルの小田貴音(おだたかね)さんの名前をくっつけたもの。「き」にアクセントがあります。
先日9/15にはマツダスタジアムで国歌斉唱を務められたことからも、広島県内で高く評価されていることが窺えます。ちなみにマツダスタジアムでの国歌斉唱は3回目だとのこと。
実際、広島県内でふと耳にする曲は、実は万貴音が歌ってた、あるいは小田さんが作曲・編曲していた、なんていうことがとても多いのです。マツダスタジアムでの「赤ちゃん写真コンテスト」のBGMにも…。スーパーで流れる「ひろしま牡蠣のうた」も…。
詳しいご活躍ぶりは、公式サイトを見てください!
このように書いていながら、私が万貴音さんを知ったのは2022年の5月ぐらい(県内でも僻地に住んでるから…テレビ見ないから…と言い訳)。応援しているのはそこからなので、ファン歴が短いヤカラであることをご了承ください。
以下はその「にわか」ファンの感想なので、もしかすると何か本質を踏み外しているかもしれません。
ただ、この記事を通じて万貴音さんのことを知った人は私と感覚が近いと思うので、きっと参考にしていただけるのではないかと思います。
以下、「ですます」と「である」が混在していますが、パッションの表れだと捉えていただければ幸いです。
Re:StructureとRe:Leaseの冒頭聴き比べ
万貴音さんの最新のアルバムから2曲を聴き比べてみよう。
1曲目のRe:Structure(リストラクチャー)と、クライマックスであるRe:Lease(リリース)だ。まずは最初の10秒程度を聴き比べていただきたい。
どちらも時計の秒針が時を刻む様子を表現していると思われるが、圧倒的な質感の差が感じられる。
以下の記載の中で伝聞調のところは、ラジオ番組などで万貴音のお二人が語っていたことを私の記憶から取り出しており、そうでないところは私の個人的見解であることに留意いただきつつ、読み進めてください。
Re:Structureはこんな曲
Re:Structureは世界がコロナ禍に入り、それまでできていた音楽活動のほとんどが「禁じられた」中で作られた曲、とのこと。発表は2022/3/27とのことだから「第6波」とか言っていた頃だ。
いわゆる「コロナ禍の3年間」は、音楽をやってない人、あるいは音楽を消費するだけの人が今振り返れば、「命を守るために仕方なかった3年間」と評価できるかもしれない。
でも、音楽に人生を捧げている人、命を賭けている人もいるんだと知った今、そんな簡単なひとことで片づけていい問題じゃないと感じる。当時は「第6波」が第何波まで続くかも分からなかったことにも思いをはせていただきたい。
実際、2022年の夏前にだいぶ感染者数が収まってきて、さまざまな社会活動が元に戻りかけていた頃、夏から再び第7波。そして秋のイベントが軒並み中止に…ということもあった。万貴音さんの予定されていたライブも確か3件ぐらい白紙になったはず。こんなことの繰り返しがいつまで続くのか?と、どれほど不安だっただろう。
そんな中でも前を向いて、今の世の中でできることをやる!今まで通りのことはできないかもしれない。だから再構築だ!という前向きな気持ちを表現したのがこのRe:Structureなんだと思う。というか、そういう話をラジオでおっしゃっていたと思う。
前向きと言っても、もしかすると無理に振り絞った元気なのかもしれない。でも先の見えない当時、音楽に命を賭ける人に「前を向く」以外に何ができただろうか?
そして、まだファンでもなければ万貴音さんのことを知りもしなかった自分に何ができただろうか?できないんだよ。だから、時間だけを無機質に通り過ぎさせるのではなく、自分たちでも歩き始めるんだという決意表明のような歌なんだと思う。
そういう背景があると知って、再び最初の10秒を聞いてみよう。無情に流れていく1秒、1秒の時間の流れが、終わりのない暗い淵へと続いているかのような感覚を共有できるのではないでしょうか。そして、その淵へ飲み込まれていくのではなく、できることをやるという強い気持ちも同時に表現されていると思います。
ちなみに私が一番最初に(YouTubeで)聴いた万貴音さんの曲はこのRe:Structureで、当時は上記のような背景を知らなかったため、「何だかやたらと張り詰めた重々しい曲だな」という印象を持ったように覚えています。
Re:Leaseはこんな曲
Re:Leaseは2023/8/25にリリースされた曲。同日のライブで初披露となった。
Re:Structureとリリース日を対比すれば、コロナ禍にひとまずの区切りがついた直後の曲、ということになるだろう。
言うまでもなく、コロナウイルスが消滅したわけでもなければ、特効薬が開発されたわけでもない。だからこの「区切りがついた」というのは正確には「区切りをつけることを多くの人が選んだ」という表現の方が正しいんだろう。誰も言わないけど。
そういう背景知識を持ってRe:Leaseの冒頭10秒を再び聴いてみよう。
Re:Structureと明らかに対になっているこのイントロ、「これが同じ時間の流れか?」と驚くこと間違いなし。
小田さんによると「夜明け」をテーマとして作られた曲とのこと。一歩一歩、新しい夜明けに向かって歩いていく。待ちきれずに太陽の方に向かって早足で歩を進めていく様子が、最初の10秒だけでも感じられる。
Re:Leaseの表現上好きなところ
Re:Leaseはとても好きな曲で、CD購入以来、一番聴きまくっています。何もかも素晴らしく、全てに言及すると1GBぐらいの記事になってしまいそうなので、特に好きな表現を3箇所挙げておきます。
1分20秒の「夜明け」
イントロから小田さんの歌い出しへ。長い暗い夜の終わりが予感される、静かな歌い出しだ。徐々に参加楽器が増えていく様は、暗い空が東から徐々にぼんやり明るくなっていく様子を表している(のではなかろうか)。
そして最後に参加するのは万貴ちゃんだ。1:20あたりから静かに参加した万貴ちゃんの声が「つながっていた~」と一気に表に出てくる。これは地平線から太陽が顔を出し、光が地上に射してくる朝への切り替わりの瞬間を見事に表現している。深読みのしすぎかしら?
コロナ禍の3年間の「闘い」
この歌は、万貴音のお二人がラジオ等で何度も言及しているように「コロナ禍における万貴音の闘いの曲」なのは間違いないのである。
その「闘い」とは何だったのだろうか?思うようにいかない音楽活動を、どうにかできることだけでも存続させ、コロナが終息するのを耐え忍んで待つ、ということだったのだろうか?
もちろんそういった側面も大きかったと思うが、この歌からは違うテイストも読み取れる。
「無力さに涙した自分」に言及しつつも、「回り道じゃない」「取り戻すでもない」と二人がそれぞれの声で歌う。こんなに力強く言い切れる人が何人いるだろうか。この曲のリリースライブで初めて聴いたときに、一番グッときたのはこの箇所だった。
出会いと出逢い
先ほどの続きに「ここでまた君に会えた 出逢えたから」という箇所がある(漢字の使い分けはCD内記載の歌詞から)。
「会えた」と「出逢えた」、二度同じようなことを歌っているのはなぜだろうか?辞書的な意味の違いはさておき、使い分けのイメージとしてはこんな感じではないだろうか。
会う→人と場所を同じくすること全般
逢う→初めての人と会う場合(しかも何らかの運命的な要素を含む)
深読みのしすぎかもしれないが、万貴音のお二人がこの使い分けをしたのは、「コロナ禍が明けて、ようやく昔と同じように人と会えるようになる。古くからのファンや、イベント会場での一期一会など」という意味と、「コロナ禍を経て新しいことに出逢えた。ライブ配信や、新しいファンなど」という意味、両方をこめているのではないかなぁと感じる。
特に自分は正直「にわか」のファンなので、「コロナが明けてまたみんなと会える」と言われたとしても、自分はその「また」には入っていないということを意識せざるを得ない。
でも「出逢えた」とひとこと添えてくれているだけで、なんだかホッとするのでありました。私が万貴音さんに出逢ったのも、一段落では書けないぐらいさまざまな偶然が重なってのことだから、なおさらこの「出逢えた」というフレーズが心にしみるのです。
まとめ – 時間の流れは主観で変わることを見事に表現した2曲
以上、「時間」をネタにした「理系あるある」の話と思わせておきながら、天声人語ばりの急展開(笑)で万貴音さんの楽曲を紹介する記事となりました。
コロナ禍は明けたかもしれないけれど、先が見えない時代であることにはかわりがありません。そんな中で、自分の魂に正直に歩を進めていくことの尊さを感じる2曲でした。
他の収録曲もホントに素晴らしいので、ぜひまずはYouTubeで。そしてCDでの視聴をぜひオススメします(サブスクもあるよ)。