な な なんと!出版させていただいたばかりの「ぼくらは『物理』のおかげで生きている」の重版が決定したそうです!
あこがれの「重版出来!」
新聞の下の方にある本の広告に、たまに「重版出来!」と書いてあることがありますよね。ちなみに「出来」は「でき」ではなくて「しゅったい」と読むのが正式なんだそうです。知らなかったので「じゅうはんでき!」と読んでいました(笑)。
この「重版出来」とは「今までに印刷した分が売り切れそうなので、新しく印刷しましたよ」というような意味だろうと思います。ですから昔から「重版出来!」を見ると「この本、売れてるんだなあ」と思っていましたし、自分が本を出版してからは、「一度は重版というのを体験してみたいなあ」と思っていたのでした。
ただ、今は本が売れにくくなっているようですし、まして自分のようにさしたる実績も社会的地位もない人間の本が重版になるはずがないとも思っていました。
ところが先日、出版社の方から「増刷が決まりました」と連絡をいただき、「馬さか!」「デ馬でしょう!」と喫驚して今に至るというわけです。
重版と増刷
注意深く読んでこられた方は「あれ?『重版』の話をしているのか、『増刷』の話をしているのか、どっちなのか?」と思われたかもしれませんね。これについて出版社の方にも聞いてみたところ、厳密には多少の違いのある言葉ですが、今ではあまり区別せずに使っているのだそうです。
wikipediaの版と刷という項目を見るとわりと詳しく書いてありますが、大体以下の通りです。
- ほぼ同一内容のものを印刷することが「増刷」
- 内容に改訂を加えたものを印刷することが「重版」
ですので、例えば「初版 第2刷」というと「最初の本と同じものをもう一度印刷した」という意味になりますし「第2版」というと「最初の本に少し改訂を加えたもの」という意味になると思います。手持ちの本をいくつか調べて、例を見つけてきました。
例えばわたくしの大好きな「ドラえもん」ですが・・・
なんと109刷!さすがは藤子先生です。
大学時代にちょっと読んでいた教科書は「第2版」が発行されています。
意外と「第2版」のものを見つけることができなかったのですが、これはたまたまなのかどうか・・・。ドラえもんとかブラックジャックなどは、表現上の問題でわりと修正が入ったりしていると思うんですが、たまたま手に取った巻が初版本だったのかもしれません。
なぜ呼び方が違うのか?
内容の修正の有無によって「増刷」と「重版」という用語があるのはなぜか?また最近その区別をしなくなっているのはなぜか?ということが気になったので少し調べてみました。(こことかここが特に参考になりました。)
昔は本を印刷するためには「版」という物体を作らないといけなかったようです。この「版」は、本を印刷するためのフィルムのようなものだそうです。一度「版」を作ってしまうと、あとはこれを印刷すれば本ができます。ハンコに喩えると「ハンコ本体=版」「インクをつけて紙に押したもの=本」ということです。
ですから、単に本が売り切れてもう一度印刷するだけならば、「版」はそのままで印刷だけすればOKですね。これが「増刷」のイメージだと思います。
一方、内容に間違いが見つかってそれを修正する場合には、新たに「版」を作り直さないといけません(ハンコを彫り直すようなものです)。ですからこの作業は「増刷」とは別のもので、版を重ねるから「重版」と呼ぶみたいですね。
ただ、これらの工程はもう昔のことで、今はパソコン上のデータとして「版」に相当するものが作れるようなので(DTPといいます)、誤字の類を直すのも、多少の論旨を修正するのも、作業としては変わらないわけです。ですので「版という物体を作るかどうか」という観点から区別する必要はなくなっているということですね。あとは出版社の人が「内容がだいぶ変わったから第2版という表示にしようかな」と思うかどうかにかかっているんでしょうかね?その辺の細かいところはよく分かりません。
なぜ売れているのか?
内容が面白くて売れている!ということなら誇らしいのですが、本って買う前に読めませんよね。だから多分、内容の面白さとは別のところに要因があるのではないかなと思います。
そこで思い当たったのが、この本がシリーズものだということです。「ぼくらは~のおかげで生きている」という本は、実務教育出版の「素晴らしきサイエンス」というシリーズでして、物理の前に以下の3冊が出版されていました。
- ぼくらは「化学」のおかげで生きている
- ぼくらは「数学」のおかげで生きている
- ぼくらは「生物学」のおかげで生きている
これらが面白いから、後続の本も売れているのではないかな?と思ったのですがいかがでしょう。例えば「数学」を読んだ人が「面白かったから物理も読んでみよう」と買ってくださったとか・・・。
そう考えると、「ぼくぶつ」(ぼくらは「物理」のおかげで生きている)を読んで気に入ってくれる人が多ければ、さらに後続の本も売れるかもしれませんね。逆だと逆になりそうで、責任重大です。
気に入ってくれてそうな方も
化学系研究者のかみざとさんが書いてくださったこちらの記事を見つけました。ご自身はあまり物理に関わりのない人生を歩んでこられたそうなんですが、
正直、物理がこんなに楽しい学問だとは思っていませんでした。
それはもう、完全になめてました。
と大げさに楽しんでくださっています。この記事の面白いところは、「ぼくぶつ」を読んで気に入られたポイントをもう一度ご自身の言葉で発信し直してくださっているところですね。「てこの原理」「ハッブルの法則」「落体の法則」を特に好んでくださっているようです。
かみざとさんは、最後にこんなことを書かれています。
「まずは物理の楽しい部分を学び、興味を高めてから勉強に入りたい」
そう考えている人はぜひ、この本を読んでみてください。
ぼくはもう、すっかり物理にはまっちゃいました。
これは特に大人にとっては重要なことではないかなと思います。何かを習得するにあたって、全てを網羅した教育課程をイチからなぞる時間は普通はありませんし、そもそも「物理学」なんて広い学問を全て網羅しようとしたら仕事を辞めて大学に入り直すとかしなければ無理だと思います。ですから、まずは興味を持ったところから知識を深めていくのがよいのではないかと・・・。何かの検定試験を受けてみられるのもいいかもしれませんね。
それから実は、出版前に友人である桑子研さんがこちらの記事で応援をしてくださっていました。
桑子さんとはリアルに対面したことはないのですが、オンラインでやり取りをしたり、一緒に講座のアシスタントをしたりということがありまして、桑子さんのアイデアと行動力に舌を巻いたものでした。
横川先生の本にはずれはないので、ぜひみなさんも楽しみにしていてほしいと思います。
↑こんな過分な褒め言葉を頂戴しております(汗)。自分としては、そのときそのときにできるだけの力を出して本を書いていますので、多分1冊目より2冊目、2冊目より3冊目の方が出来はよいのではないかと思っています。読者の皆様に受け容れてもらえれば幸いです。
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